Page 7 - V1.Osung Book_JPN
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G E N O M E                                                          努力/実績/評価/価値/販売/登記/譲渡譲受




                  クォン・オソンの人生と人生哲学                                          挨拶      Greetings


                    その時がまさに1957年11月29日の子時で、私がこの世に生まれたことを告げる歴史的な瞬間だった。こうして私は祖父の夢と一緒に

                  生まれた。祖父は私の家に大きな巨像が生まれ、大きな人物が生まれたと喜んで踊りながら町内で宴会を開き、祖父は亡くなる時まで私

                  をいつも自分の膝の上に座らせて大事にした。
                  あなたが塾の先生なのでいつも国愛心や恵まれない隣人を助けることを教え、常に自分のことより他人のことをまず考えなければならな

                  いと教えられた。

                    その中で最も定番の話がまさにオランダの風車少年の話であり、大きな岩の顔の話だった。クォン・ジェホという伯父とクォン・ジェ

                  ソクという父がいて、4男4女である私の家族と本家には二人の息子がいたが、祖父のすべての関心は私一人だけに集中し、2人の息子と
                  他の孫たちは初めから関心外だった。

                    私はほとんど自分の家ではない伯父の家のサランチェ(居間を兼ねた客間)にいる祖父のもとで幼少時代を過ごし、愛を独り占めにし

                  た。

                    そんな中、祖父が亡くなってから本家で私と父、母、兄弟たちと共に暮らすようになった。その中でも情も多くて涙も多い母は一匙多
                  く食べた。当時は村に乞食たちが多く、いつも私の家に来てご飯を恵んでもらうことがよくあった。母は私たち家族のご飯を炊く時にい

                  つも乞食たちのためのご飯を別に分けておいてあげたり、または倉庫に行って生米を分けてあげた。いかなる場合にも手ぶらでそのまま

                  送り返すことはなかった。

                    そんな中、父がしている事業がうまくいかず生活が苦しくなったが、その時にプンギ(豊基)高麗人参組合長のキム・ギェファという

                  方から(体育:当時サッカー選手)の奨学金をいただき、私は学業を無事に卒業することができた。
                    塾の先生だった祖父、情が深い母、ありがたい高麗人参組合長の影響を受けて愛されながら幼少時代を生きてきた私は、いつも私の

                  は感謝で一杯だった。三人の影響を受け、いつも私の頭の中には恵まれない隣人、社会を助けることと国を愛することだけが骨の髄を埋

                  めていた。
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